上町第1回 「上町本町」伊予街道から足軽・奉公人の「内町」を歩く

「上町本町」伊予街道から足軽・奉公人の「内町」を歩く
①古図から見た郭中と上町の境界(古池・土手)
②古図から見た上町の町割り(足軽町・町屋)
③淋しい原野(長宗我部将兵の兎狩り逸話)
④枡形町・本町・本丁
⑤坂本龍馬誕生地
⑥才谷屋邸跡
⑦上広小路
⑧番所・高札場
⑨思案橋(本町・水通町・通町) 
⑩観音堂(団子堂)
⑪八幡宮跡
⑫戦後闇市
⑬井口事件跡
⑭弘瀬健太邸跡
⑮井口のドンド(勧進橋)
⑯車瀬(桔梗屋新右衛門)
⑰長泉寺(稲荷小祠)
⑱河野敏鎌誕生地
⑲嶽洋社祉
⑳婦人参政権発祥之地
 「高知お城下物語2017」もいよいよ上町である。『古事記』に出る因幡の白兎神話の銅像前、枡形の出雲大社前からのスタートである。好天に恵まれ、知的好奇心満々の参加者38名、颯爽と定刻の出発であった。
 手にした古地図に見る上町周辺、それは見慣れた上町のまち割りではなかった。長宗我部氏が本山攻め帰陣の際、この周辺での兎狩で将兵たちをねぎらった言う話を聞けば、上町周辺は淋しい原野だったということも納得できた。郭中と上町は「古池」の文字で隔てられている。旧河道の一部か?はたまた河跡池であろうか。直線的な堀と土塁で隔てられ、整然としたまち割り完成の時期はいつだろう。自説・仮説を交わしあわすのも、これまでのまち歩きの成果であろうか。
 坂本龍馬生誕地や才谷屋屋敷跡はおなじみの場所ではあるが、現地で知る才谷屋と、坂本家の関係や屋敷の規模、それらはすべてが新鮮な知識となって、歴史知識のホルダーを豊富にした。この日、名古屋からの参加者の目の輝きも実見した。
 五丁目広小路から「伊予街道」の起点「思案橋」にでる。短い橋となっているが、伊予街道から高知の城下に入るには3本のルートがあった。本町か水通か、それとも通町か、どの道にしようか?その思案の場所であった。ここには番所も置かれた。よさこい節の純信とお馬もここで駆け落ちの罪で晒された。暗殺された吉田東洋の首も、ここで暗殺者から同志に手渡された。団子堂命名の童子の逸話も、また町人達が口ずさんだ「高知の街づくし唄」も「五丁目の観音堂」でおさめられ終わっている。
戦後の混乱の中で親しまれた「五丁目のやみ市」の賑わいを知る人も減った。いまは城西振興市場跡として道に整備され、思い出だけをとどめている。
 井口町、ここでは文久元(1861)年3月ひな祭りの夜の永福寺門前事件を語らずにはおられまい。上士と下士(軽格)の対立が刃傷事件となり、その裁決が下士の憤激をよび、下士たちの新たな結束が土佐勤王党結成へと発展する事件である。井口の川流は変わらないが、歴史は大きく変転する起点となった。
 激動する幕末の歴史に思いをはせつつ、弘瀬健太誕生地を知った。ともに動いた間崎浪滄、平井収次郎の意気に感動しつつ、車瀬公園、長泉寺跡から、高知市立第四小学校校門横の婦人参政権発祥之地の碑前へと歩く。「男女同権ハ海南ノ某一隅ヨリ始ル」と称えた植木枝盛や民権ばあさん楠瀬喜多、そして「子爵河野敏鎌誕生之地」「嶽洋社址」の碑に、明治の新時代建設に当たっての土佐人の意気に感動。高揚する心を抑えて本日のお城下物語は閉幕した。
◆まち歩きルートマップ(古地図)
出典:安芸市立歴史民俗資料館蔵『高知御家中等麁図』
◆まち歩きルートマップ(現在)
◆まち歩きの様子