第2回 参勤交代の道から与力の通りへ

高知お城下物語2017
第二回参勤交代の道から与力の通りへ(探訪地/追手筋→本与力→北与力→永国寺)

①高知城堀跡
②大腰掛け
③教授館・北会所跡
④山内豊信誕生跡
⑤弘人(ひろめ)屋敷跡
⑥追手前高校 校舎・時計台
⑦武家屋敷庭園跡
⑧土橋跡(盛り上り)
⑨細工町町名由来板
⑩本与力町標識
⑪馬詰親音誕生地
⑫北与力町標識
⑬永田寺跡
⑭藤並神社跡(高知城土塁跡)
⑮春日神社跡
⑯山内ー豊騎乗像
⑰高知大神宮(神社建築)
⑱武市瑞山切腹の地・南会所(揚屋)跡
⑲昼食・帯や勘助(復習講座・懸賞クイズ)
 高知城追手門前、つい先日は幕末維新博の開幕イベント、そのメイン会場の高知城歴史博物館も開館で人々は沸いた。
 天気晴朗、日差しのぬくもりを感じる3月12日の日曜日。第2回目の高知城下「郭中」まち歩きの日、「参勤交代の道から与力の通りへ」ぬけようと40余人の歩き人たちが集まった。3代将軍家光は『武家諸法度』で参勤交代を制度として確立し、基本的には江戸時代を通じて隔年の参勤交代が行われた。わが土佐の歴代お殿様も、毎年4月を交代月とし、在国の時は3月に土佐を出立、在江戸の場合は5月に江戸屋敷を出発し約1ケ月かけて土佐と江戸を往復しなければならなかった。なにしろ2531人(元禄元年-1688-)を従えての参勤交代である。追手筋は行列が行き帰りには必ず通る道筋である。ある時は船で大阪に、ある時は野根山街道を通り、ある時は北山を越え、東海道か中山道の道を選んでの移動である。将軍は大名との主従関係の確認にはよかったとしても、各藩は莫大な経済的負担に頭を痛めたことであろう。
 手にする古地図は天保年間、12代山内豊資時代を語ってくれる。高知城歴史博物館は山内下総の屋敷、その北に記された「大腰掛」。そこには登城の諸士を待つ従者の姿があったという。北側の「追手屋鋪」に目をやれば、山内容堂誕生の地の碑が見える。四賢侯の一人とうたわれ、国政を牽引したその活躍、幕末維新の時勢に思いは広がる。「北会所並教授館址」はいま土佐女子高等学校、その南は深尾弘人の屋敷、いまは高知の名所となって朝から賑いを続ける。道を隔てた東は、山内主馬太郎左エ門と村田玄明の屋敷が並ぶ。今日もクレーンは高くそびえてオーテピア建設中。地下から発掘された大規模な池跡は、武家屋敷に伴う池の初発見と話題をよんだ。北側は山内藤馬と深尾丹波の屋敷。そこは斬新な洋風建物の上に、四段櫓の帝冠様式の時計台が久遠の時を刻む。高知追手前高等学校である。古地図を読み、歴史の風景の体感に心酔しながら現代を歩く。まち歩きの醍醐味満喫である。
 「高知お城下物語」の我等が旗印は先頭で風になびき、与力の屋敷が軒を連ねる本与力、北与力の通りをぬけていく。
 高知城の鬼門鎮め、一條院永国寺跡には寺の面影はない。
◆まち歩きルートマップ(古地図)
出典:安芸市立歴史民俗資料館蔵『高知御家中等麁図』
◆まち歩きルートマップ(現在)
◆まち歩きの様子