上町第4回 奉公人のまちと石垣の築屋敷を歩く

奉公人のまちと石垣の築屋敷を歩く

①古地図に見る枡形・上町
②町の防火と秋葉神社・瓦
③上町まちづくりと南奉公人町の成立
④思案橋畔にて
⑤新月橋とムベ、そして、はらたいら
⑥観音堂(団子堂)
⑦石塔群・五輪群そしてお地蔵さん
⑧居眠り龍馬と吉田東洋・源希義
⑨お稲荷さんとキツネ
⑩土佐西国三十三観音霊場
⑪築屋敷成立
⑫河田小龍塾跡
⑬水天宮
⑭月の瀬橋と龍馬の水泳
⑮日野根道場跡
⑯石垣物語
⑰水丁場の標柱
 寛永から慶安の頃に描かれた絵地図、上町と郭中の堺には高さ1間3尺の土手がある。土手に沿って幅広く「古池」が、もとの南奉公人町一丁目の東半から北にかけて河川の蛇行を思わす線で描かれて、その水が堀に落ちるところが「金子橋」あたりである。
 南奉公人町を西に歩く。上町の町割りは下町より遅く、野中兼山によって整えられたと言う。各所に「秋葉神社」の小祠が目につく。「火伏せの神」「火防ぎの神」としていまなお人々の篤い信仰をうけ続ける事実を語るものである。
 上町の町割りの中心は本丁筋、郭中の本町筋から枡形を抜けて西に伸び、西端の「思案橋番所」から伊予街道につながる。この筋の北に「北奉公人町通り」、南に「水通町通り」「通り丁通り」と並行同長の町がある。今回の歩きのルート「南奉公人町通り」は、「通り丁通り」の南に並ぶ町で、「内町」と言われた時期もあったが、いろいろの奉公人が居住したため、慶安の頃「北奉公人町」とともに改称されたという。
 「南奉公人町通り」をいっきに歩き、四丁目で堤に上がる。堤の西は「新月橋」である。鏡川では天神大橋についで明治31年架橋の木橋で、舟渡しの不便を消した。築屋敷の上流に新しく築かれた堤(シンヅキ)のそばであったところからの命名という。昭和35年には架け替えられ、平成15年には漫画家はらたいら氏のアイデアを基にデザインされ、県下唯一の公園橋・市民憩いの橋として「ムベ」の木陰がつくられ、高知市都市美デザイン賞も受賞した。
 保安林指定の大銀杏のもとに集い、思案橋畔から移された観音堂と、その境内に集められた諸々について学習する。高知の名所観音堂、五輪塔やお地蔵さんに遍路碑などの石像群、稲荷神社と眷属のキツネや神社の狛犬、西国33番札所へと話題は広がる。
 築屋敷に入る。「柳原の西、鏡川の堤に沿い約5町、堤の外側を埋め立てた片側町で、もとは築地といった。寛永元年町民が堤の外側竹薮を埋め立てたものである。文政9年に藩はさらに本覚寺の越戸までこれを延長した。当時この部分を新築といった」と古書は記す。財を競って築かれたよう立派な石垣に沿って歩きつつ、石垣の歴史や種類、構造、はては算木積みや、反り勾配など城郭石垣を話題にするなど、歴史好きならではのまち歩きである。
 月の瀬橋は龍馬と乙女の水泳訓練、その橋詰の水天宮は水難をよけ、文政7年の建立という。河田小龍寓居跡、龍馬が小栗流を学んだという日根野道場跡を推定しながら、堤防上の水丁場の標柱を見る。鏡川洪水から城下を守ろうとする土佐藩の水防体制を改めて確認し、堤防に沿って金子橋を目指す。
あとは昼食の高知会館に急ぐ。
◆まち歩きルートマップ(古地図)
出典:安芸市立歴史民俗資料館蔵『高知御家中等麁図』
◆まち歩きルートマップ(現在)
◆まち歩きの様子